くにみです
以前、「親にリタイアを反対されています」という投稿をしたんですが、その顛末(最終回)です。
どうやって説得しようかいろいろ考えていたのですが、
結果、
「それどころではなくなった」
です。↓以前の記事はこちら↓
くにみです 2025年に50代でリタイアを目指しています。 いきなりリタイア宣言すると周りからの反発がすごそうだなので、ジワジワ宣言し始めました。高齢の親にも「来年会社やめるから」と言ってあります。 ちなみに私のリタイア方針は、年金、退職金をあてにしながら、不足分を配当収入でま...

以前、80代の親(金融リテラシーゼロ)にリタイアすることを伝えた際には
「だいたい、投資なんて不安定なもので生活できるのか?」
「投資なんていい時もあれば悪い時もあるんだから」
「損してお金なくなっても俺たち(親)はなにもしてやれないぞ」
「あと数年なんだから、定年まで働けばいいじゃないか」
「投資なんていい時もあれば悪い時もあるんだから」
「損してお金なくなっても俺たち(親)はなにもしてやれないぞ」
「あと数年なんだから、定年まで働けばいいじゃないか」
と猛反対されました。
再度昨年末に電話で親に
私「前にも言ったと思うけど、3月末で会社辞めるから」
と伝えると、まさかの応答。
親「え?そうだっけ?」
忘れている!!?だいぶ短期の記憶が怪しくなってきてましたが、こんな大事なことを!?。
それから同じやり取り、「やめて大丈夫なのか?」を何回か繰り返しようやく最近は辞めたことを認識できてきました。
が、リタイア後のつい最近、平日の昼間に携帯に電話(たいした用ではない)がかかってきて
親「今会社か?」
忘れているのか!?
そもそも今会社だと思うんだったらこんな用事で電話してきちゃダメだろ。
そもそも今会社だと思うんだったらこんな用事で電話してきちゃダメだろ。
私「もう退職したよ」
親「あー、そうだった」
結果、説得は不要、
もはやそれどころではなく最近高齢者住宅を探し始めています。
今回の出来事で思うのは
急速に衰えていく親を見ると、
・時間は取り戻せない
・人生は我慢して生きるほど長くない
・時はどんな達人、賢人、美人でも老人に変えてしまう
・人生は我慢して生きるほど長くない
・時はどんな達人、賢人、美人でも老人に変えてしまう
という言葉を痛感します。あらためてアーリーリタイアした選択は間違っていなかったと思う日々です。
0 件のコメント:
コメントを投稿